ニート概念に吸収されるひきこもり概念

ひきこもり概念がニート概念に吸収されることに関しては強い危惧を抱いている。「ひきこもり」の場合は、「ひきこもりは外に出てこないから、どんな人達なのかわからない」という前提がある程度共有されていたけれども、「ニート」の場合はその前提に対する認識が甘すぎる。世間からまったく認知されていない、コアなひきこもりの人たちが、今まで以上に忘れられた存在になってしまうのではないかと心配だ。

私は、ひきこもり概念がニート概念に吸収されることを強く懸念している。社会的ひきこもりという言葉によって、辛うじてその存在を認知されているコアなひきこもりの人たちは、忘れ去られていくのだろうか。//社会的ひきこもりの大多数はネットなんかやっていないし、まして五条通信のような気持ち悪いサイトなんて読んでいない。精神的苦痛のなかで黙々とひきこもりつづけいる。友達がいない。親が憎い。電車に乗れない。仕事が怖い。怖い。怖い。怖い。コアなひきこもりとして、私はこのような人たちを想定している。

私の11月付けの日記より引用。これとは関係ないけど、2chで「真性ひきこもり」についての議論が行われているらしい(参照:id:hotsuma:20041227#p4)。「偽ヒキ問題*1」と絡めて考えると興味深い。

(2017/3/6追記)
2004年に書いたこの記事は的外れな部分があったなかと思っています。あえて記事は残しておきます。

*1:偽ヒキ問題:「俺が真性のひきこもりだ」「外に出られるやつはひきこもりじゃない」「いや、外に出られるけど、友達のいない俺もひきこもりだ」「ネットしている時点で偽者」・・・と、自分を「ひきこもり」に所属させたい人たちが、「本物のひきこもり」について論争してしまう困った事態のこと