大阪の精神科薬物(?)による死亡事故について



報道
読売新聞および朝日新聞によると、

  • 14日午前6時頃、大阪市生野区の祖母宅で西宮市の少年(14)が死亡。
  • 少年の兄(17)が「弟が眠れないというので、午前1時頃、計5〜7錠の薬剤を弟に飲ませた」と供述。
  • その薬剤の内訳は、4〜5錠が「ベゲタミン」、残りが「デパス」だと供述。兄は無事。
  • 弟が飲んだ薬剤は、兄が大阪市中央区アメリカ村*1で購入したものと供述。
  • ちなみに、兄は同じ薬剤を普段から睡眠目的で使用しており、同日も服用したと供述。
  • 15日、大阪府警司法解剖の結果、死因は急性薬物中毒。量や成分は鑑定中。

ということである。



ベゲタミン」「デパス」とは何か?
ベゲタミン」は塩野義製薬が製造販売する医療用医薬品のブランド名である。成分の量の異なる「ベゲタミンA」と「ベゲタミンB」が存在する。ともに1957年に発売開始された歴史のある薬であり、不眠症の治療薬としてを今日まで使われている*2ベゲタミンAは、クロルプロマジン塩酸塩25mg、プロメタジン塩酸塩12.5mg、フェノバルビタール40mgの3種の薬物を成分としている。一方のベゲタミンBは、これより少ない量の、クロルプロマジン塩酸塩12.5mg、プロメタジン塩酸塩12.5mg、フェノバルビタール30mgを成分としている。規制区分はともに、劇薬、向精神薬、習慣性医薬品、指定医薬品、処方せん医薬品である。
一方の「デパス」は、田辺三菱製薬が製造販売する医療用医薬品である。化学的にはベンゾジアゼピン類に分類され、催眠作用、抗不安作用、筋弛緩作用などを期待してさまざまに用いられる。具体的には、睡眠の導入、不安、抑うつ、頭痛、肩こりなどに使われる。劇薬にも向精神薬にも指定されておらず、ベゲタミンに比べると毒性は低い。悪性症候群などの原因となる可能性も否定できないが、数錠の服用で致死的な症状が出る可能性はたいへん低い。よって、亡くなった少年が実際にベゲタミンデパスを服用していた場合、今回の死亡事故はベゲタミンの過量摂取(乱用)によって引き起こされた可能性が高い。
なお、ベゲタミンデパスも、乱用が問題となった医療用医薬品「リタリン」とは、構造上および効能上の関連性はまったくない



ベゲタミンの特徴について
ベゲタミンは、3種の医薬品成分を混ぜた塩野義オリジナルの合剤である。国外で使用されている例を私は知らない。催眠作用がとても強いので、嗜癖的に愛用する患者も多い。しかし、依存性が比較的強く、過量摂取時に重篤な副作用が現れることがあるため、現在では、他の催眠薬、抗不安薬抗精神病薬などが効かない場合にのみ処方されるのが一般的である。個人的には「使い方の難しい薬」という印象を持っている。



睡眠薬のアンダーグランド取引について
睡眠薬アンダーグラウンドで取引されるケースは多い。とりわけ、レクリエーションドラッグと成りうるニメタゼパムトリアゾラムゾルピデムフルニトラゼパムの流通に関する噂をよく耳にする。これらの睡眠薬は、医師や薬剤師から不正な目的で入手した正規の医薬品がほとんどと思われるが(安価であり犯罪上安全なため)、卸からの横流し(期限切れの医薬品など)があるという噂もある。また、ビニール袋などで販売されていた可能性もあるので本物のベゲタミンデパスであったかどうか分からない。大阪府警の調査で明らかになるだろう。
いずれにしても、不眠で悩んでいる方は、精神科・神経科・心療内科への受診をお勧めする。安全で安価である。たとえば、2週間分の処方に対して医院・薬局に払う金額は2000円程度である(3割負担の場合)。精神科等は予約制の医院が多く、また敷居が高いと感じる人もいるので、そういう場合は、内科の受診をお勧めする。実際に内科で睡眠薬を処方されている患者は多い(特に老人)。ちなみに、法的には、泌尿器科医でも産婦人科医でも睡眠薬の処方は可能である。



今回の報道が与える社会的影響について
死亡事故であるから報道する意義は十分にあるが、果たして具体的な薬物分類名や薬物名を公表する必要があったのだろうか。アンダーグラウンドで医療用医薬品が取引されている実情に警鐘を鳴らす意味では必要な報道であっただろう。しかし、「精神安定剤」「向精神薬」という表現を用いることによって、精神科の薬に対する誤解偏見を助長したおそれがある。これにより不眠症で悩んでいる人が睡眠薬を飲むことをためらい、心身の健康が損なわれたとしたら極めて残念である。また、具体的な薬剤名を公表することは、現在該当する薬剤を服用している患者に大きな不安を与え、コンプライアンス*3の低下につながる。ちなみに、埼玉県本庄市で起きた一般用医薬品による殺人・保険金詐欺事件*4では、具体的な薬剤名が報道されなかった(成分名は公表された)。



補足:規制区分について

  • 劇薬:「毒薬」の次に危険とされる特別な医薬品であり、薬事法第44条で「劇性の強いものとして大臣が薬事・食品衛生審議会の意見を聴いて指定する医薬品」と定められている。厳重な取り扱いが求められるため、「白地に赤い枠を書き、赤字で品名と『劇』の文字」を表示する義務がある。規制204条−別表3によれば、劇薬のおおよその基準は(ア)急性毒性が強いもの(イ)慢性毒性が強いもの(ウ)安全域の狭いもの(エ)中毒量と薬用量の極めて接近しているもの(オ)副作用の発生率が高いもの(カ)蓄積作用の強いもの(キ)薬用量において激しい薬理作用を呈するもの、とされている。ここでいう急性毒性は、LD50mg/kg*5を基準としており、劇薬の経口薬では300となっている。
  • 向精神薬:広義の「向精神薬」は精神に作用する薬といった程度の意味であるが、ここでは、麻薬及び向精神薬取締法によって定義された狭義の「向精神薬」を指している。同法に基づき、約80種の薬物が向精神薬の指定を受けている。意外に思われるかもしれないが、エチゾラムデパスの成分)、パロキセチンパキシルの成分)、カルバマゼピンテグレトールの成分)、オランザピン(ジプレキサの成分)などは向精神薬の指定を受けていない。マル向の表示をする義務がある。薬局等では、鍵をかけた設備内で保管しなければならない。
  • 習慣性医薬品:習慣性があるものとして厚生労働大臣が指定する医薬品。
  • 指定医薬品:厚生労働大臣が指定する医薬品。高度な薬学的知識を求められるため、薬剤師は取り扱うことができるが、薬種商は取り扱うことができない。
  • 処方せん医薬品:薬事法第49条で定められ、医師、歯科医師等の処方せんの交付を受けたものでないと購入できない医薬品のこと。ほとんどの医療用医薬品が処方せん医薬品に該当する(例外:PL顆粒、ケナログ口腔用軟膏、医療用漢方製剤など)。

*1:五条註。大阪ミナミの繁華街。若者の街である。覚せい剤大麻、麻薬、合法ドラッグなどの違法な売買が行われており、一部は事件化している。

*2:鎮静を目的として投与されることもあるが現在では稀である。

*3:コンプライアンスとは、患者が処方どおりに服薬できていることを指す

*4:余談であるが、17日、最高裁が上告棄却し、埼玉保険金殺人の首謀者である八木被告の死刑が確定した。

*5:LD50は50% Lethal Doseの略であり、致死量の目安として用いられる。